十年前、雨の夜。研修医の高瀬廉は、古いアパートで妻・美緒に離婚届を差し出された。貧しい生活の中でも、彼は心臓外科医になる夢だけを追い続けていた。美緒は昼も夜も働き、焦げた卵焼きを詰めた弁当で彼を送り出したが、静かに言った。「夢だけでは暮らせないあなたの未来に、私はもういらない」。廉は震える手でサインし、彼女の残した指輪を見て胸が壊れる思いをした。 それから十年。廉は大学病院で有名な心臓外科医となり、冷徹で笑わない医師と呼ばれていた。ある夜、九歳の少女・ひまりが救急搬送されてくる。胸元の銀色の指輪、そして同意書の「父親欄」に書かれた自分の名前。廉の手が止まった。 さらに手術前、美緒から渡されたノートと手紙で真実が明かされる。あの離婚届は、妊娠を隠し、彼の未来を守るための嘘だった。廉は初めて、自分が捨てられたのではなく守られていたと知る。ひまりの小さな心臓が脈打つたび、十年分の痛みが静かにほどけていった。