【ハイニッカ全史】日本ウイスキーの父はなぜ「一番安い酒」を毎晩飲んだのか?10%の壁を突破した1964年の大衆酒競争と、実売1,000円台の意地を徹底解説【ゆっくり解説】
2026/09/13
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ハイニッカは、単なる安酒ではない。1964年、東京オリンピックと新幹線開業の熱気の中で、当時500円という攻めた価格で登場した。大卒初任給が2万円台の時代、その一杯は決して軽い買い物ではなく、低価格帯の市場を奪い合うサントリーとの真っ向勝負だった。しかも、当時の酒税法は二級ウイスキーに「モルト10%未満」「度数40%未満」という厳しい壁を課していた。そこで鍵になったのが、旧式のカフェ式連続蒸留機だ。時代遅れと見られた設備でグレーン原酒を作り、穀物の甘みと香ばしさを残したまま、味の骨格を守り抜いた。そして創業者・竹鶴政孝は、自らが生んだ最高級品ではなく、この最安の酒を晩年まで毎夜確かめ続けた。安いからではない。大衆の食卓に本当に寄り添う一本か、自分の舌で試していたのである。

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