2000年7月25日、フランスのシャルル・ド・ゴール空港からエールフランス4590便がニューヨークに向けて離陸準備を進めていた。この日は、コンコルドの運命を決定づける悲劇の日となった。超音速旅客機として名を馳せ、「最も安全な旅客機」と讃えられていたコンコルドは、この日を境に「最も危険な旅客機」として語り継がれることとなる。出発直前、滑走路に落ちていた金属片がコンコルドのタイヤを破損させた。その結果、燃料タンクに穴が開き、火災が発生。機体は制御不能となり、空へ舞い上がることはできなかった。乗員乗客109人全員と地上の4名が命を落とすという悲惨な結果を招いた。この事故は、航空業界に多大な影響を与え、コンコルドの時代に終止符を打つこととなった。この教訓から、航空安全に対する意識が一層高まるきっかけとなったのである。