1995年1月17日、神戸は阪神・淡路大震災に襲われ、平穏だった日常が一瞬で崩れ去りました。朝5時46分、強烈な揺れが街全体を襲い、建物は次々と崩壊し、火災があちこちで発生する事態に。人々が夢の中にいた朝方に、突如として命を奪う揺れが襲いかかり、多くの人々が悲劇に巻き込まれました。
当時6歳の結衣は、家族とともに避難所へ向かうことになり、彼女にとっても心に刻まれる日々が始まります。混乱しながらも避難所へと急ぐ結衣と家族。その道中で目にした崩れた建物、泣き叫ぶ人々の姿が、幼い結衣の心に深い恐怖を植え付けました。まだ幼かった彼女は全てを理解できないながらも、「何か取り返しのつかないことが起きている」と感じ取ります。
避難所の小学校に着いた結衣一家は、寒さに震えながら不安に包まれる人々と共に夜を過ごします。家を離れた不安、そして家族への心配が募る中、父の真人と母の愛子は、商店街の無事を確認しに出向きます。その間、結衣は姉の歩みと一緒に自宅へ向かうことに。
二人が自宅に到着すると、目に飛び込んできたのは無残に崩れ落ちた家の姿。
その悲劇的な状況の中で、さらに結衣と歩みを襲う知らせがありました。それは、歩みの大親友である真紀ちゃんの死でした。真紀ちゃんは崩れてきた家具の下敷きになり、命を落としてしまったのです。この知らせに、歩みの心は引き裂かれるような痛みを覚えます。
中学生だった歩みにとって、真紀ちゃんはかけがえのない存在でした。家族に反対されても、真紀ちゃんは「お父ちゃんは関係ない、私と愛ちゃんは親友だから」と、毅然と歩みとの友情を貫き通してくれた友人でした。しかし、その真紀ちゃんが命を奪われたという現実に直面し、歩みの心には深い喪失感が押し寄せます。この大きな悲しみは、彼女の今後の人生観を変える出来事となりました。
避難所生活は想像を超える厳しさでした。物資の不足で食料もわずかしか配られず、結衣は空腹に耐えながら過ごす日々が続きました。ある時、結衣は「お腹減った」と母に漏らしますが、愛子は「みんなも我慢してるから、もう少し待とうね」となだめるばかり。そんな彼女たちの前に、おむすびを差し出してくれるおばさんが現れます。
おばさんは申し訳なさそうに、「数が足りないから、二人で一つずつね」と言いながら、小さなおむすびを手渡しました。結衣はその冷たくなったおむすびに不満を漏らしますが、おばさんは怒ることなく、震災による電気やガスの停止で温められなかったことを説明します。家を出た時はまだ温かかったおむすびも、避難所に来るまでの長い道中で冷えてしまったのです。
「なんで泣いてるの?」と尋ねた幼い結衣に、おばさんは震える声で答えました。「神戸で生まれ育って、この街が大好きだったから、こんなに大変だけど、絶対に大丈夫だから」と。冷たいおむすびではありましたが、そこにはおばさんの温かい思いが込められていました。このおむすびは、結衣にとって大切な思い出として心に残ることとなります。
この震災を機に、歩みは自分の心に深く残る悲しみを抱えながら成長していきます。震災によって大切な友人を失い、日常の生活が一瞬で壊れたことで、彼女の人生観が大きく変わりました。成長した歩みが故郷・神戸を離れ、福岡で新しい生活を始める中でも、この震災の記憶は彼女の心に影を落とし続けました。
年月が経ってもなお、彼女の中には神戸での悲しみが色濃く残っており、時折それが心の奥から湧き上がってくるのです。井糸島に戻った彼女が自分の部屋に足を踏み入れた時、その姿には幼い頃の悲しい記憶がよみがえっているように感じられました。
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=mHLcKzLuIl4,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]