松平忠輝は徳川家康の六男として期待されたが、その運命は一転した。幼い頃から父に疎まれ、理由は不明瞭だが、母の身分や似姿が原因とされる。家康の影響力下での将来を期待されたが、最初から冷遇された。転機が訪れたのは伊達政宗の娘、いろは姫との結婚である。この結婚は、忠輝に東北地方での強力なバックアップを提供し、彼の地位を一時的に安定させた。しかし運命は無常である。1614年、大坂の陣で忠輝は江戸幕府の命令により、戦場に赴くことなく留守を命じられた。翌年、戦場での失態により彼は信頼を完全に失った。家康のし後、兄秀忠の命により領地を失い、幽閉されること67年。忠輝の苦難の生涯は、彼のしと共に幕を閉じた。