中央自動車道は、東京と愛知県を結ぶ主要な高速道路ですが、そのルートがなぜ遠回りになったのか、多くの人が疑問に思っていることでしょう。その背景には、複雑な歴史と多くの政治的な決断が絡んでいます。提案が最初に出たのは、約90年前のこと。当時の政府は、ドイツのアウトバーンに着想を得て、日本でもスムーズな交通を可能にする弾丸道路を計画しました。この時、現在の中央道が通る内陸ルートが候補に上がりましたが、しかし戦争激化により計画は頓挫します。戦後、田中政一という政治家が登場し、日本の復興のためには道路網の整備が必要だと提案しました。東京から名古屋までの最短ルートを模索しましたが、政府は赤石山脈を貫くトンネルが技術的に難しいと判断し、山梨県と長野県を経由する現在のルートに変更しました。1982年に全線開通した中央自動車道は、遠回りルートとして完成しました。技術的な制約や地域の圧力が複雑に絡み合い、現在の形に至ったのです。