李方子の生涯を振り返ると、彼女がどれほど複雑で波乱に満ちた人生を歩んだかが分かります。李方子は日本の皇族の一員として、梨本宮家に生まれ、早くから昭和天皇の妃候補として名を連ねました。しかし、彼女の運命は政略結婚によって大きく変わります。日本に留学中の李氏朝鮮最後の皇太子である李垠と結婚し、数奇な運命に導かれました。政略結婚でありながら、李方子と李垠の関係は愛情に満ちたものでした。結婚後も、朝鮮半島の政治的な不安定の中で彼女は苦難に直面します。息子を失い、夫の王位継承など多くの困難に立ち向かいながらも、日本と韓国の架け橋として尽力しました。戦後、彼女は日本国籍を失い、極貧生活を余儀なくされますが、それでも韓国での福祉活動を続け、障害児の教育に力を注ぎ続けました。李方子の激動の生涯は、両国の友好の象徴として今も語り継がれています。