明治時代、日本の政治は薩摩藩と長州藩を中心とした勢力によって動かされていました。しかし時代が進むにつれ、「一部の勢力だけで政治を決めるべきではない」という声が高まり、政党勢力が台頭します。やがて大正から昭和初期にかけて、立憲政友会と立憲民政党という二大政党が政治の中心となりました。しかし、両党は互いの失敗を批判し、選挙では金銭による工作も行われるなど、国民の間には「政党政治は腐敗している」という不信感が広がっていきます。一方、陸軍内部でも薩摩と長州の流れをくむ派閥争いが続いていました。特に長州系の宇垣派が大きな影響力を持ちましたが、それに反発した若い軍人たちは陸軍改革を目指して双葉会や木曜会を結成します。彼らは日本が総力戦の時代に入ったことを強く意識し、資源確保のため満州を重視するようになりました。その後、関東軍は政府の方針を超えて独自の行動を始めます。満州事変では、関東軍が満州鉄道爆破をきっかけに軍事行動を拡大し、中国東北部を占領しました。この動きは国際的な批判を招きましたが、日本国内では新聞報道によって軍への支持が高まっていきました。さらに、一石会が陸軍内部で影響力を強めると、軍部は政治への関与を強めるようになります。政党による政治への不満、経済不況、外交対立が重なり、日本社会には軍国主義的な空気が広がっていきました。