千葉県成田市に位置する成田空港。この空港の真ん中に、ひときわ目立つ「取り壊せない家」が存在します。その理由には、驚くべき歴史と激しい闘争の背景がありました。成田空港が計画されたのは1960年代。しかし、地元住民たちの強い反対により、空港の建設は大きな障害に直面します。当時、政府は住民に多額の補償金を提示し、立ち退きを促しましたが、貧しい暮らしを続ける地元の人々にとって、急な土地収用は生活を脅かすものでした。これに反発した住民たちは、空港反対同盟を結成し、過激な反対運動を繰り広げたのです。特に象徴的なのが、現在も残る「反対派の家」。この家の土地は約800人もの共同所有で構成されており、その一部でも移転交渉が難航すれば、空港側は手を出すことができません。さらに、反対派は空港の滑走路に干渉するように配置され、空港の運営に大きな影響を与え続けています。1978年の空港開港予定日には、反対派が地下から侵入し、滑走路の破壊活動を行うほどの激しさでした。この闘争は「成田闘争」として知られ、日本だけでなく世界的にも注目される大きな問題に発展しました。