歌会始の儀で皇后雅子さまが詠まれた一首は、手話を通じて人と心を結ぶ情景を描いた、静かで力強い歌だった。しかしその直後、ネット上では「なぜ今、手話なのか」という疑問とともに、雅子さまへの批判が広がった。背景にあったのは、デフリンピックをめぐる秋篠宮家の動きである。秋篠宮妃紀子さま、佳子さまは、手話に関わる公務で知られ、同大会への関与も注目を集めてきた。そのため、一部では「雅子さまが話題を奪った」と受け取る声が生まれたのだ。しかし実際には、雅子さまの歌は競うためのものではなく、困難を抱える人々に寄り添う姿勢の表れだった。六か国語を操り、なお学び続ける皇后の姿は、静かに国民の心を打つ。批判の裏には、比較と嫉視が生む歪んだ視線があったのかもしれない。その一首は、言葉を超えて届く「祝福」の本質を、私たちに問いかけている。