瀬戸内海の小さな島で生まれ育った僕の記憶には、石屋が大多数を占めるこの島特有の風景があります。父はこの島で雇われて働く一人でした。僕が学校でトラブルを起こし、同級生を泣かせてしまったとき、父は謝りに行く必要があると教えてくれました。父は厳しくはなく、僕には自由に生きろと優しく言い聞かせたものでした。父は裕福ではありませんでしたが、いつか船を持つことを夢見ていました。ある日、やっとの思いで手に入れた船に「幸福丸」と名付け、嬉しそうにペンキでその名を書き込みました。僕が小学校四年生の頃、父と海で釣りをしたときのことをよく覚えています。父がアンカーを岩場に引っかけて釣りの準備をしていると、島の金持ちのクルーザーが近づいてきました。